スコアを読んで勉強するのは低音楽器の役目だと思う。

 

 

パート譜を見るまでもないけど、高音楽器の譜面は低音より黒くて、複雑で、旋律の負担が多い。低音の譜面は白くて単純で、リズムや和音を担当していることが多い。

 

周波数が高い音は低い音に比べて鮮明に聞こえるのだから、当たり前のこととも言える。旋律は際立って聞こえるように高音にあてがわれる。だからといってリズムや和音が大切でないかというとそうではない。低い音は鮮明でなく、こもって聞こえる。ということは、その音が聞き手に与える印象は聞き手の想像力によって補完される余地が大きい、ということでもある。リズム感や和声感はそういう所に一つの存在意義がある。ある種の雰囲気作りとも言い換えられるかもしれない。僕は低音楽器の奏者なので、その想像力の補完の力に頼って演奏している。悪く言えばうまくごまかしながら弾いているということでもあるし、良く言えば聞く人の想像力をかきたたせるように意識して演奏をしているとも言える。

 

さて、オケの民の日常会話ではしばしば、「バイオリンは楽譜の負担が大きい」「低音は楽」と言っている風景がみられる。

 

それは合っていると思う。低音に想像力の補完の余地があるとすれば、高音はその逆で、出した音の印象が直接聞き手に伝わる。それだけ演奏者の責任が大きいと言っていいと思う。低音奏者の僕からすれば、「俺らもそれなりに頑張ってるんじゃ」と言いたくなるところではあるが、とにかく高音の人は自分の楽器への責任感が強い。尊敬すべきだと思う。

 

上のような会話を耳にしたとき、低音の奏者は彼らに敬意を示すと同時に、実は反省しなければならない部分があると、僕は思う。

端的に言えば、高音の奏者が低音に比べて負担が大きいと感じている時は、それが低音の怠慢によるものである可能性があるということである。

 

低音楽器はこもった鮮明でない音を出すことで、聞き手に想像力をかきたたせると書いた。それは観客にとってだけではなく、同じ舞台上にいる他の奏者にも同類の影響を与えている。

楽器のピラミッドの図を想像してみてほしい。弦楽器なら~。

低音が良い形をした、しかし輪郭の不明瞭な