114終えて

たいそうな振り返りをしそうなタイトルを付けておいてつまらないことしか書かない。

 

 

 

114thにおいて、自分の中ではっきりと明文化していたわけではないが、達成したいと思っていたタスクや、実際にオケを振る中で試してみたいと思っていた構想などがたくさんある。忘れたものもたくさんある。忘れてないものは今のうちに書きだしておくし、忘れたものも思い出したときに書きたい。

 

明文化していた目標ももちろんあり、そういうのは総会とか技術委員会とか、毎tutti後とか打ち上げの言葉とかでそこそこアウトプットできていたと思うので、これから書くのはそういう大きいスケールに満たないような、枝葉的な内容にすぎない。

 

 

さて。

まず、旋律優位が過ぎていたように思うオケのバランスを整えて、伴奏の仕事を増やした。

旋律が率先して音楽を作っていくというのは、オケでは効率が良くないと思う(もちろんそういう場所もある。今回ならbrahmsの4楽章フルートソロの箇所とか)。と言い切るのはさすがに語弊があるが、伴奏だけで音楽の骨格ができていて、旋律担当は弾けば勝手にそれっぽく聞こえるという環境が自分は理想的だと思う。そうすると、旋律は細かい音程、より繊細な抑揚のつけ方に力を注ぐことができるようになる。

僕は114th期間の序盤、旋律楽器にはあえて指示を出さずに自由にやらせた。代わりに伴奏で鳴っている音の雰囲気や、リズム感にこだわった。そうやって過ごした結果、指示はしていないのにいつもよりも抑揚のある美しい旋律ができあがった。と思う。このあたりは少し大雑把すぎる解説をしてしまったかもしれないので、トレーナーのトレーニング方法論のような記事をまた書いてくわしく話したい。

伴奏の仕事を増やした、ということについては、「スコアを読んで勉強するのは低音~」的な名前の記事でこれもまた詳しく書いてあるはず。

 

 

次に、オケで練習している時にその場に流れている、ある種の呼吸感のようなものを作れるように努力した。

ある程度長くオケ等をやっている人は何となく感じたことがあると思う。オケが楽器を構えた瞬間に、「あ、今から出る音はいい音だな」と感じること、または「今から出る音は絶対合わない」と直感することである。言葉では説明しづらいものだが、とにかく楽器を構える動作を見るだけで、今から鳴る音がどんなものか大雑把な想像がつくようになる。

さらに注意深く観察しながらオケを続けていくと、皆がどんな雰囲気で楽器を構えた時がいい音が出る瞬間なのか、何となく分かってくると思う。ここまでくれば、かなり質のいい練習が期待できるようになる。毎回いい音が出るという分かりやすいメリットの上に、音楽の再現性が高くなるという素晴らしいメリットが付いてくる。毎回同じクオリティで演奏できるというのはトレーナーにとっては非常にありがたいことで、自分の予定していた通りに練習を進めることができる。逆に「いや前回は弾けてたやんけ!」みたいなことになると、オケは混乱するし、トレーナーも何を言えばいいのやら困惑する。そういう日は、往々にして練習の質が低下してしまうことが多い。

ここで気になるのはもちろん、「じゃあ、そのいい音が出るときの雰囲気ってどんな雰囲気なのよ?」という疑問である。雰囲気なので、非常に言葉にしづらいものであるが、自分の中での論理を極力表現できるように努力する。

最初に「呼吸感」という言葉で表したように、「呼吸が合っている時」というのが大事になってくる。ここで言う呼吸とは、単に吸ったり吐いたりする息のみを指しているわけではない。相手の行動に合わせて自分の行動を沿わせていくような、そういう仕草のことを指す。将棋用語でも「呼吸を合わせる」というのがあり、相手が攻撃の手をゆるめて王様の囲いに一手使ったら自分も一手囲う、などのやり取りを表す。「棋は対話なり」と言ったえらい人もいたらしいけど、この二つは僕の好きな将棋用語でもある。音楽でも同じようなことが言えますね。

話が逸れました。

もう一つ大事な条件として、いいルーチンをもって演奏に入るというのがある。演奏家というのは一種の職人仕事なので、始めから終わりまで洗練された動作をこなすためのルーチン(いわゆる「五郎丸ポーズ」みたいなやつ)が大事になってくる。楽器を構えるという動作がこのルーチンにあたるといっていい。演奏家の有名なルーチンとしてはアインザッツというのがあって、音を出すタイミングを合わせるためにブレスをしながら音を出す準備動作をする。これが直接的なルーチンなのだが、その前の楽器を構えるところからルーチンに入れてしまうというのが分かりやすくて良いと思う。五郎丸で言うなら、楽器を構えるところが五郎丸ポーズで、アインザッツが実際に蹴るために助走をつけだしたところと置き換えられるだろうか。

さらにもう一つ大事なのが(くどくてすいません)、集団心理である。別に集団心理に詳しいわけではないけれども、経験的に理解できることはたくさんある。集団で何かをするときは無意識的に周りに同調した動きをすることが多いということである。同調するのもまさに無意識的な動作が多くて、姿勢を直したり、空咳をしたり伸びをしたりなどの些細な所作があたる。学校集会などで校長先生の話を聞いているとき、誰かがもぞもぞと座り直すと皆一斉に座り直すような瞬間があると思う。まああんなイメージである。

つまり、

自分が率先して良い呼吸感で楽器を構えるルーチンに入ることで、皆が無意識的に呼吸を合わせて良い準備に入ってくれるというのが、長々としゃべくって言いたかった結論である。最初に言えよと。僕もそう思います。本当にすいません。

 

 

 

間違った道に進まないように道筋を教えてあげること、これも期間中気を遣っていたことである。

やはり一年以上年上の人間がいるというメリットは、自分が一度通った道を後輩が通っていくのを手助けできるということだと思う。これもまたたいへんに当たり前なことだが、自分が自分たちの代で経験して後悔したことはさせなければ良いし、得したと思ったことは再現させれば良い。このまま進むと悪い流れになるというような予兆をできるだけ敏感にキャッチして、より楽に音楽作りができる道に導いてあげるよう言葉を選んだ。

書いていて本当に当たり前なことを言っているなと頭を抱えているが、これがなかなかどうして難しくて、人は毎年後悔していることを次の年も繰り返すのである。また将棋の話に脱線するが、対局中に相手の指し手を見て、「この手は前にも指されて負けたことがあるな」と思い出すことはできるのだが、そこからどう指せば勝ちだったのかは思い出せない。要は前に負けた時の反省が不十分できちんと戦術を練り直すことができていないのである。後悔したときの反省を十二分にして、それを頭に染み付けて、同じ轍を踏みかけている時にしっかり思い出すということができる人は強い。そうなれるように4年間努力してきたつもりだ。

 

 

さらに、実はこれが心の奥で密かに一番強く願っていたことなのだが、114thでは名大オケの全員が楽しんで音楽に取り組めるように努力した。

全員が、というところに強調の点を付けたいのだがブログの編集に慣れていなくてやり方が分からない。

名大オケに来る人もかなり多様になったと思う。10年前(自分がいた訳ではないので伝聞だが)と比べて男女比も変わり、他大生も増え、大学でオケをやる目的というのが多様になった。今は皆んな留学もするし、インターンに行かないと就職できないし、とにかくやることが増えているのだと思う。やることが増えたということはそれだけお金も必要になるからバイトもたくさんする。それぞれの団員が、オケに割ける時間、お金、モチベーションの総量は減ってきているのだと思う。そんな現状と、伝統を重んじる名大オケの昔ながらのシステムとにギャップが生じていて、団員にストレスがかかっているということを感じてきた。顔で分かる。定演のDVDに映る顔は皆一様に唇を固く引き締めて眉をひそめ、冷たい目をしている。真剣な顔とも言えるし、楽しくなさそうな顔とも言える。楽しくないから目線は下がる。体のベクトルは内向きになって、肩をせばめて演奏する。そうなると体はこわばるからいっそう上手く弾けない。もっと楽しくなくなる。音楽がもっと内向的になっていく。

システム自体を変えていかないと破綻するというのが僕の思想の出発点であった。

64年続いているオケである。膨大な積み重ねの末に成っているシステムは頑丈で重たい。しかし、器がしっかりしていても中身の形と合っていないなら仕方がない。64年の重みに敬意を払いつつ、現状にそぐわないと思うものはあっさり変えて改革しようと思った。捨てるべきものは捨てて、とっておくべきものは大事にするようにした。もし後に後悔したらそれは十二分に反省して、繰り返さないように頭に染み付けていけば良いのだ。

多様な思惑をもって音楽に向かう人が集まる中で、どのような人も楽しいと思えるような環境を作りたいというコンセプトでシステムを弄った。有り体に言えば、楽しそうな顔で演奏してくれる人が一人でも増えるように努力した。具体的にどういう風に弄ったのかは、細かく言おうとすると難しいし何を言われるか分からないからあえて何も書きません。けっこう明文化もしてきたしね。

それらは、本当に上手くいったかどうかは分からない。でも、僕の色紙にこんなことを書いてくれた団員がいた。名大オケの本番で114thが一番楽しかった、と。僕個人的にはそれで大満足で、その言葉が欲しくて頑張ったから頑張った甲斐があった。

 

 

最後に。

今年も新歓でたくさんの一年生が入ってきたが、高校時代から、あるいはそれよりずっと前から名大オケに憧れていてここに来たと言う一年生の言葉を聞いて感動した。素晴らしい団体なのだと改めて実感した。十年後も、同じようなことを言って入ってきてくれる人がいる団でありたいと思った。それは、団の一つの目標としてとても素敵なものであるのかもしれない。